三次郡(読み)みよしぐん

日本歴史地名大系 「三次郡」の解説

三次郡
みよしぐん

平城宮出土木簡に「備後国三次郡下三次里人」とあるのをはじめ、「出雲国風土記」に「三次郡」がみえる。「日本後紀」延暦二四年(八〇五)一二月七日条によれば、この時調糸を鍬鉄に換えた備後八郡の一つに含まれ、産鉄のあった郡であることが知れる。「和名抄」東急本郡部に「美与之」と訓じ、「延喜式」(武田本)神名帳・同(九条家本)民部省はミスキとする。中世から近世初期までは「三吉」の字をあてることが多かったが、寛文四年(一六六四)以降、藩命により「三次」に統一された。「芸藩通志」は「当郡の郷名、上次・播次・下次とあり、此三次を以て郡名とせられしなるべし、但、次をよしと訓ずる義いまだ詳ならず」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android