日本歴史地名大系 「三田四国町」の解説 三田四国町みたしこくまち 東京都:港区旧芝区地区三田四国町[現在地名]港区芝(しば)二―三丁目・同五丁目明治五年(一八七二)旧武家地を合併して起立した町。新堀(しんぼり)川(古川・金杉川・赤羽川)に架かる赤羽(あかばね)橋の南に延びる三田通の東側を占め、北は芝松本(しばまつもと)町。町域は江戸時代初期以来武家地であった。町名は三田通周辺に四国町の里俗称があったことによる。元禄(一六八八―一七〇四)までは町域北部に東西に延びる馬場があり(寛文新板江戸絵図など)、新馬場(しんばば)の地名が幕末まで残った。その南には馬喰(ばくろ)屋敷や新馬場同朋(しんばばどうぼう)町シンババドウボウマチという拝領町屋があった(港区史)。幕末には薩摩鹿児島藩松平(島津)家居屋敷・日向佐土原藩島津家下屋敷(鹿児島藩に貸置)・土佐高知藩中屋敷・三河挙母藩内藤家上屋敷(文政一〇年拝領)・阿波徳島藩蜂須賀家中屋敷(拝領年月不詳、明暦三年新添江戸之図以降各地図に記載)・出羽山形藩水野家上屋敷・因幡鳥取新田藩松平(池田)家上屋敷・幕臣邸地があった(東京市史稿・近代沿革図集)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by