三谿郡(読み)みたにぐん

日本歴史地名大系 「三谿郡」の解説

三谿郡
みたにぐん

「日本後紀」延暦二四年(八〇五)一二月七日条に、奴可ぬか郡などとともに「三谿、三次等八郡」の調糸を鍬鉄に換えると記される。天平年間(七二九―七四九)とされる平城宮出土木簡に「備後国三谷郡」とあり、「日本霊異記」にも「三谷ノ郡」「三谷寺」などあり、三谷とも通用していたらしい。「和名抄」東急本郡部に「美多尓」と訓を付す。「芸藩通志」は「名義未詳、或は水谷みたに深谷みたになどの義ならむか、或はいふ、当郡郷名に、いにしへ三谷といへるあり、其地三箇の谷あるを以郷の名とす、因て遂に一郡の総称ともなりにしやと」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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