上中山村
かみなかやまむら
[現在地名]八尾町中山
安沢谷村の南、大長谷川右岸の山腹にあり、飛州二ッ屋村道が通る。寛永一七年(一六四〇)の谷折村の請取状(竹原家文書)に請取人として中山村五郎右衛門の名がみられるが、その種目は二成銀子・年貢米割金代銀子・二成綿代などとなっている。正保郷帳に中山村とみえ、村高は追分村と合せて三八九石余、田方二町余・畑方二三町八反余。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳でも中山村とあり、高三八九石余。
上中山村
かみなかやまむら
勤行川左岸に位置し、東は野村。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となる。江戸初期に下館藩領となり、元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)や寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)に、村高二六九・〇三四石とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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