日本歴史地名大系 「中山村」の解説
中山村
なかやまむら
宛所欠の天正三年(一五七五)二月七日付武田家定書(本間順治氏所蔵文書)に「沼田庄中山郷之内弐百貫文」がみえる。天正年間兵火により荒廃していたが、中山城の城代を勤めた平形丹波、一族の和泉が再開発したという(平形文書)。寛文郷帳では田方五一〇石余・畑方一千三五二石余、幕府領。元禄一六年(一七〇三)旗本向井主税に五領・
中山村
なかやまむら
文禄四年(一五九五)小出吉政(のちの出石藩主)領となる。
中山村
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中山村
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- 千葉県:市川市
- 中山村
中山村
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平安末期、後三条天皇が
中山村
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中山村
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中山村
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中山村
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- 埼玉県:飯能市
- 中山村
飯能村の東、
中山村
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中山村
なかやまむら
- 山口県:宇部市
- 中山村
宇部丘陵の西部に位置し、村の西側は
慶長五年(一六〇〇)、同一五年の検地帳ともに「中山」とあり、「奥旦」と合石で記される。一五年の検地帳によれば、総石高五三二石余、うち田四九町余で四八二石余、畠七町余で二八石余、百姓屋敷五五、小物成二石余とある。
寛永三年(一六二六)の給領御配郡別石高名付附立によれば、中山に萩藩士益田修理の給地五四八石がある。
「地下上申」では「中山村」とあり、奥壇村の枝郷とされている。
中山村
なかやまむら
中山村小和田村用水出入留帳(錦織家文書)によると、
中山村
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北端を
中山村
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中山村
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慶長三年(一五九八)九月の越前府中郡在々高目録に高二一九・四九五石、先高一五一石余・出分六八石余とあり、ほかに三・三三石の馬借米を別納している。同年七月一五日付越前国府中之内中山村御検地帳(宮川家文書)によると、村高二一九・四九五石、田方一二町四段余・一八三石余、畠方五町一段余・三三石余、荒畠三段余・一石余、屋敷一段余・一石余。
中山村
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- 静岡県:御殿場市
- 中山村
中山村
なかやまむら
- 東京都:八王子市
- 中山村
中山村
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- 茨城県:笠間市
- 中山村
江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。
中山村
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- 兵庫県:加西市
- 中山村
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中山村
なかやまむら
中山中一二ヵ村の一つ。東の境は
中山村
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- 山口県:防府市
- 中山村
大永四年(一五二四)八月三日付の得地二宮社領佐波郡内所々注文(周防国分寺文書)に「中山 弐段 保頭名内」とあり、隣村の岸見とともにその名がみえる。
中山村
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- 兵庫県:赤穂市
- 中山村
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- 新潟県:新発田市
- 中山村
周囲を山に囲まれ、北流する
中山村
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出雲崎町・
中山村
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- 新潟県:新発田市
- 中山村
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- 新潟県:新発田市
- 中山村
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- 愛知県:豊橋市
- 中山村
氏神社の
中山村
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- 長野県:駒ヶ根市
- 中山村
北は
天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳に村高は「六拾四石四斗五合壱勺 中山・竹ノ沢」とある。
中山村
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- 石川県:羽咋市
- 中山村
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なかやまむら
- 佐賀県:伊万里市
- 中山村
北辺を中山川が東流する標高一〇〇メートル台の丘陵地帯。
慶長絵図に「中山村 波多津ノ内」とあり、文化年中記録によれば「畝数十四町六段八畝十一歩」とある。
寛政(一七八九―一八〇一)以降の板木組書上帳(主屋文書)によれば溜池の所在地として字
中山村
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- 茨城県:水海道市
- 中山村
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- 長崎県:諫早市
- 中山村
福田村の北東に位置する。
中山村
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- 長崎県:平戸市
- 中山村
中山村
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- 秋田県:大館市
- 中山村
大館盆地南東端部、西流する米代川が盆地に注ぎ込む辺りに位置する。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には新田とあり、五九石と記される。享保一四年(一七二九)の秋田郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)の「曲田中山村」の項に「諸帳曲田村中山村と両村出、但元禄曲田村斗記中山村不出、正保中山村を誤而新田出、今度郷村帳之通御黒印両村江被下候」とある。
中山村
なかやまむら
中山村
なかやまむら
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出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報