婦負郡(読み)ねいぐん

日本歴史地名大系 「婦負郡」の解説

婦負郡
ねいぐん

面積:三八六・〇六平方キロ
細入ほそいり村・八尾やつお町・山田やまだ村・婦中ふちゆう

令制以来の婦負郡は越中国の中央やや西側に位置し、東は新川にいかわ郡、西は礪波となみ郡、北西は射水いみず郡に接した。現在の郡域は北陸自動車道からほぼ南側、呉羽山くれはやま丘陵と神通川に挟まれた地域である。北に婦中町、ほぼ南西に隣接して山田村が位置し、婦中町の南、山田村の東に接して八尾町、そのほぼ南東、神通川左岸に沿って細長く延びる細入村がある。郡の西方は北から砺波となみ市・東礪波郡庄川しようがわ町・利賀とが村と接し、東は神通川を挟んで同じく北から富山市・上新川郡大沢野おおさわの町に接している。北は富山市のほか射水郡小杉こすぎ町と接する。郡の東端を神通川、中央部を井田いだ川が流れ、山田村および婦中町西部には山田川が北流する。南は標高一六〇〇メートル近い白木しらき峰を最高峰とする峰々で岐阜県吉城よしき宮川みやがわ村・河合かわい村・神岡かみおか町に接する。JR高山本線は婦中町・八尾町から大沢野町を経てほぼ神通川沿いに細入村域を進み、その南部で第三セクター神岡鉄道と結ばれる。婦中町を東西に国道三五九号、細入村の高山本線に並行して国道四一号が通る。

「万葉集」以来、郡名の表記はほとんどの場合「婦負」とする。「万葉集」巻一七には婦負郡の鵜坂うさか川の辺りでの歌があり、作歌の時期は天平二〇年(七四八)の二月か三月とみられる。天平宝字三年(七五九)一一月一四日の越中国礪波郡石粟村官施入田地図(三浦梧楼氏旧蔵)に「従利波往婦負横路」、「続日本後紀」承和一二年(八四五)九月一日条、「延喜式」兵部省、「源平盛衰記」巻二八の北国所々合戦事などをはじめ、「婦負」の表記は定着していた。しかしその訓は「和名抄」東急本の国郡部に「禰比」とあるものの、同名博本に「子イ」と別に「メイ」と訓じているように、「万葉集」巻一七に「売比能野」「売比河波」とあって奈良時代には「メヒ」と読んだ可能性が高い。「拾芥抄」でも「メヒ」「ネヒ」の両訓をとっているが、「古事記伝」は「ネヒ」をのちの転訛とし、「メヒ」を本来の訓としている。中世末には現行の読みが定まったと考えられ、慶長八年(一六〇三)の前田利長知行所付(「神尾氏等判物写」加越能文庫)には「ねい」郡と記される。

旧郡域は東で新川郡、西で礪波郡、北西部で射水郡に接しているが、その郡界については明確ではない。近世以降の新川郡と当郡との境界は神通川であるが、古代には常願寺川の旧流路をもって区切る説が通説化し、川主流は現在のいたち川から赤江あかえ川辺りの流路をとって神通川に合していたとされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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