上仁柿村(読み)かみにがきむら

日本歴史地名大系 「上仁柿村」の解説

上仁柿村
かみにがきむら

[現在地名]飯南町上仁柿

下仁柿村の西にあり、周囲を山に囲まれ村の中を仁柿川に沿って初瀬(伊勢)本街道が通る。さらに西は櫃坂(ひつさか)峠を越えて一志郡上多気(かみたげ)村(現美杉村)へと続く。嘉吉年間(一四四一―四四)赤松教康が伊勢へ落ちたとき、「家臣木所ト云者、仁柿村ニテ自害」(三国地志)したといわれ赤松塚とよばれている地点もある。初瀬本街道は大永二年(一五二二)連歌師宗碩が参宮のとき通り、多気(たげ)から多気(たき)郡相可(おうか)(現多気町)へ抜けている(さののわたり)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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