赤松教康 あかまつ-のりやす
1423-1441 室町時代の武将。
応永30年生まれ。赤松満祐(みつすけ)の長男。父や叔父の則繁(のりしげ)と将軍足利義教(よしのり)を暗殺し(嘉吉(かきつ)の乱),父とともに播磨(はりま)(兵庫県)城山(きのやま)城にたてこもる。のち幕府の追討軍に敗れ,伊勢(いせ)(三重県)の北畠教具(のりとも)をたよったが,その地で嘉吉元年9月28/29日自害した。19歳。通称は彦次郎。別名に教祐(のりすけ)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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