20世紀日本人名事典 「上原信雄」の解説 上原 信雄ウエハラ ノブオ 昭和期の救癩運動家,歯科医 生年明治30(1897)年 没年昭和62(1987)年2月7日 出生地沖縄県糸満市 学歴〔年〕東京歯科医専卒 主な受賞名〔年〕朝日社会福祉賞〔昭和55年〕,勲三等瑞宝章 経歴県立中に入るが家が貧しく中退。地元医師の援助で上京、東京歯科医専を卒業。昭和13年帰郷し、癩療養所愛楽園の嘱託医となる。19年〜24年専任医師として愛楽園に居住。以来、歯科医をしながら救癩に取り組み、39年には退園者の職業指導所を建設した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上原信雄」の解説 上原信雄 うえはら-のぶお 1897-1987 昭和時代の救らい運動家,歯科医。明治30年4月15日生まれ。昭和13年から沖縄のハンセン病療養所国頭(くにがみ)愛楽園につとめる。戦後,沖縄らい予防協会(のち沖縄県ハンセン病予防協会)の創立につくし,救らい運動を展開した。32年沖縄学徒援護会を創立。昭和62年2月7日死去。89歳。沖縄県出身。東京歯科医学校(現東京歯大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by