日本歴史地名大系 「上友田村」の解説 上友田村かみともだむら 三重県:阿山郡阿山町上友田村[現在地名]阿山町上友田東湯舟(ひがしゆぶね)村の南に位置する。東北方の小杉(こすぎ)村(現伊賀町)より流れる野田(のだ)川が当村の西部を西南に貫流し、また当村の東部山地より発する藤(ふじ)川が西流して中友田(なかともだ)村で合流する。主たる道路は野田川に沿って小杉村・中友田村へ通ずる道であるが、藤川を渡って東進し、当村の南部楷押(かいおし)より楯岡(たておか)村(現伊賀町)へ通ずる道が伊勢道(永長二年「六条院領伊賀国山田村鞆田村田畠注文」東大寺文書)とよばれた古道であろう。元慶(八七七―八八五)の頃、中央貴族系の前阿波守藤原万枝が、湯船庄内鞆田(ともだ)村に私墾田を有し(承保四年「僧覚増解案」村井敬義氏本東大寺文書)、天禄二年(九七一)以前に橘文懐が湯船庄内に所領を有し、「南限藤川」(「伊賀国阿拝郡司解案」東南院文書)という四至の記述からすれば、湯船庄内に当村地域も含まれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報