野田川(読み)のだがわ

日本歴史地名大系 「野田川」の解説

野田川
のだがわ

丹波・丹後境の赤石あかいしヶ岳に源を発し、途中たき川・香河かご川・温江あつえ川・加悦奥かやおく(加悦町)奥山おくやま川・岩屋いわや川・水戸みと(野田川町)などの支流を合わせながら、加悦町を北流、野田川町に入って東北へ流れを変え、岩滝いわたき町の東辺をよぎり阿蘇あそ海に注ぐ。延長一二・八キロ。

加悦谷盆地の灌漑用水としてはいうまでもなく、近世には水運にも利用された。高瀬舟型の川舟を用いて宮津藩貢納米、雲原くもばら(現福知山市)や加悦谷の炭など地方物産を運んで下り、帰り荷には灯油・塩などの日用物資を積んで帰った。船頭は流域各村から出て、積出港は上流・下流に数ヵ所あった。宝暦(一七五一―六四)頃は下山田しもやまだ村付近までしか通じていなかったのが、天明(一七八一―八九)頃には上山田村まで通じた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野田川」の意味・わかりやすい解説

野田川
のだがわ

京都府北西部、与謝郡(よさぐん)にあった旧町名(野田川町(ちょう))。現在は与謝郡与謝野町(よさのちょう)の北部を占める一地区。旧野田川町は1955年(昭和30)三河内(みごうち)、岩屋(いわや)、市場(いちば)、山田、石川の5村が合併、町制を施行して成立。2006年(平成18)岩滝(いわたき)、加悦(かや)の2町と合併し、与謝野町となる。京都丹後鉄道宮豊線、国道176号、312号が通じる。標高300~500メートル程度の丹後(たんご)山地と、地溝状の加悦盆地が東半を占め、加悦谷の中央を野田川が北に流れ、江戸時代には舟運を通じた。農業のほかに兼業として機業が盛んで、丹後縮緬(たんごちりめん)機業の一中心地をなし、縫取り縮緬などの高級品を産している。八幡(はちまん)神社の石灯籠(いしどうろう)は重要文化財。

織田武雄

『『野田川町誌』(1969・野田川町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野田川」の意味・わかりやすい解説

野田川
のだがわ

京都府北西部,与謝野町中部の旧町域。阿蘇海に注ぐ野田川流域にある。 1955年三河内村,岩屋村市場村,山田村,石川村の5村が合体して町制施行。 2006年加悦町,岩滝町と合体して与謝野町となった。大部分が花崗岩でできた丹後山地に含まれ,農業が主産業。副業として丹後縮緬の機業も行なわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「野田川」の意味・わかりやすい解説

野田川 (のだがわ)

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