上和仁村(読み)かみわにむら

日本歴史地名大系 「上和仁村」の解説

上和仁村
かみわにむら

[現在地名]三加和町上和仁

北部山中より流出する矢部谷やべたに(和仁川)西部を南流し、東は山十町やまじつちよう村、南は和仁村、西は中和仁村、北は筑後国と接する。元禄国絵図に「和仁村之内上和仁村」とあり、もとは和仁村に含まれた。近世は南関手永に属する。「国誌」には「野中村山口村菰田村岩下村等小村アリ」とある。宝暦(一七五一―六四)頃に造酒屋一がいた(肥後国中寺社御家人名附)。文政五年(一八二二)の南関手永略手鑑によると田二三町二反八畝余・畑一二町一反五畝余、竈数七四・人数三二〇、馬四八、造酒屋一がいる。明治一二年(一八七九)頃の戸数七〇・人数二八四、牡馬四二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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