光現寺(読み)こうげんじ

日本歴史地名大系 「光現寺」の解説

光現寺
こうげんじ

[現在地名]津幡町越中坂

JR倶利伽羅くりから駅の南、国道八号に沿って刈安かりやす小学校の東に位置。日光山と号する単立寺院で、本尊阿弥陀如来。もと真宗大谷派。文明一五年(一四八三)玄信によって開かれたと伝える(貞享二年寺社由緒書上)。玄信は「日野一流系図」の弘願寺系図によれば、二代玄教(文明元年没)次男で「寺尾居住」とされる。寺尾は光現寺の別称となり、「天文日記」によれば天文六年(一五三七)八月一七日、寺尾が鳥越(弘願寺)父子石山本願寺へ上り、同月一九日一家衆として五〇〇疋を贈られ、九月二日には三河佐々木(上宮寺、現愛知県岡崎市)暇乞に同席している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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