日本歴史地名大系 「上垣村」の解説 上垣村うえがいむら 兵庫県:氷上郡市島町上垣村[現在地名]市島町上垣西端を竹田(たけだ)川が北流し、南は上田(かみだ)村、東は高谷(こうたに)山(四四三・四メートル)。同山は南から西にかけての麓の村では横峰(よこみね)山とよぶ。丹後への道が通る。「丹波志」は久良部(くらべ)を枝村とする。江戸時代前期は吉見(よしみ)村に含まれた。元禄郷帳に村名がみえ高五二八石余。幕府・旗本杉浦氏の相給(国立史料館本元禄郷帳)。相給は元禄一一年(一六九八)からと考えられる(「寛政重修諸家譜」など)。享保一〇年(一七二五)から旗本萩原家と安房北条藩水野家(文政一〇年上総鶴牧藩)の相給となる(鶴牧藩大概帳)。「丹波志」では高三六〇石が萩原領、高一八〇石が水野領、家数一〇〇。天保郷帳では高五三八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by