日本歴史地名大系 「上大田和村」の解説 上大田和村かみおおだわむら 栃木県:真岡市上大田和村[現在地名]真岡市上大田和五行(ごぎよう)川右岸で、西は鷺谷(さぎのや)台地に接し、井頭(いがしら)の湧水から出て江(え)川へ入る浅い谷の最北にあり、南へ堀内(ほりうち)村・下大田和村と続く。天文五年(一五三六)一〇月二四日の芳賀建高寄進状(海潮寺文書)に「大田和之郷」とみえ、建高は父景秀(法名永存)の菩提供養のため、郷内の吹上(ふきあげ)にある宝主(珠)庵免田を海潮(かいちよう)寺に寄進した。天正一二年(一五八四)四月三日、佐竹義重は当地に陣を構え、長沼(ながぬま)(現芳賀郡二宮町)の皆河山城守を攻めるため藤岡(ふじおか)に陣を張った北条氏直と七月に至るまで対陣した(「奥羽永慶軍記」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報