上大里村(読み)かみおおさとむら

日本歴史地名大系 「上大里村」の解説

上大里村
かみおおさとむら

[現在地名]天栄村大里おおさと

小川おがわ村の西、竜田たつた川上流域の丘陵に立地。文保二年(一三一八)二月一六日の関東下知状(熱海白川文書)に「田中」とみえ、白河庄内の田中たなかを含む諸村地頭職ほかが結城盛広の知行地として認められている。田中村は江戸時代には当村の端郷で(白河風土記)、現在は字宮下みやしたを田中と通称している。村名は中世当地域の中心で、周辺の集落を総称して大里とよんだことに由来するとみられる。天正一八年(一五九〇)七月、伊達政宗は当地に拠って背いた二階堂旧臣矢田野伊豆を討つため総勢を繰出すこととし、堀江長門守にも出陣を命じている(同月七日「伊達政宗書状」堀江文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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