日本歴史地名大系 「上姉川村」の解説 上姉川村かみあねがわむら 佐賀県:神埼郡神埼町上姉川村[現在地名]神埼町大字姉川字姉川(あねがわ)上分(かみぶん)・姉川下分(あねがわしもぶん)犬童(いんどう)川沿い一帯で村の東方にクリークが広がる。延文五年(一三六〇)の高木貞房軍忠状(深堀家文書)に「去六月廿九日、馳向肥前国神崎庄松崎・本□□□□(告牟田城カ)致合戦、其後、姉河・牟田城」とあり、また同年の竜造寺家経軍忠状(竜造寺家文書)に「馳参神崎庄、最前松崎・本告両城致日々合戦候畢、同於阿禰河御陣、所々致宿直警固畢」とある。一四世紀後半この地に姉川城が築城された。弘治元年(一五五五)と永禄元年(一五五八)勢福寺(せいふくじ)城(現大字城原)にいた少弐冬尚を竜造寺隆信が攻めた際本陣となった城である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by