日本歴史地名大系 「神埼郡」の解説
神埼郡
かんざきぐん
〔地名の起源〕
「肥前風土記」に、
とある。景行天皇が西国巡幸の際この地の荒神を鎮め神幸を得たので神埼郡というようになったという伝承である。この荒神を祀った神社が現在の
昭和三九年(一九六四)平城宮跡より出土した木簡に「肥前国神埼郡調綿壱伯屯四両、養老□□」の記載が確認された。養老年間(七一七―七二四)は「肥前風土記」成立よりも古いものと判断される。また「和名抄」に神埼の名があり、「加無佐岐」と読み、「延喜式」にも神埼郡の名がみえる。
なお古代以降神埼と神崎の字について櫛田・
〔原始・古代〕
神埼は背振山地から南に延びた丘陵や有明海をひかえ、狩猟・漁労に適した土地である。丘陵地には石器類が出土する遺跡も多い。縄文式土器もみられるが、とくに弥生式土器と甕棺が多数出土したことは、農耕文化がいちはやく波及したことを物語っている。さらに大規模な前方後円墳も築造され、有力な豪族の存在が確証される。
「肥前風土記」によると、神埼郡は九郷二六里と記されているが、そのうち郷名が記載されているのは三根・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報