日本歴史地名大系 「上守道村・下守道村」の解説 上守道村・下守道村かみもちむら・しももちむら 奈良県:宇陀郡大宇陀町上守道村・下守道村[現在地名]大宇陀町大字守道才(さい)ヶ辻(つじ)村南方の丘陵地帯に位置する。宇太水分神社古図には「母智」と記す。治承元年(一一七七)一一月の平助遠田畠等処分状案(東寺百合文書)に「一処田畠切山并北山、字守道庄領 四至坪付在本券」とあり、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)にも「守道」の荘名を記す。慶長郷帳には「もち村」とあり、村高は七二七・四〇五石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)幕府領となる。その前後、寛文四年(一六六四)頃から元禄一五年までの間、上守道村(村高三六三・七〇二石)、下守道村(村高三六三・七〇二石)と村高を二分して、分離独立した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by