上宝沢村(読み)かみほうざわむら

日本歴史地名大系 「上宝沢村」の解説

上宝沢村
かみほうざわむら

[現在地名]山形市上宝沢・防原町(ぼうばらまち)・銅谷口(どうやぐち)・中道(なかみち)・七十刈(ななじゆうがり)・島(しま)・土樋(つちどい)・樋越(とよごし)・本屋敷(もとやしき)・梅野木前(うめのきまえ)・河原田(かわらだ)・行才(ぎようさい)・田端(たばた)・平久保(ひらくぼ)・東志戸田(ひがししとだ)・中江(なかえ)・沖町(おきまち)・清水町(しみずちよう)・松波(まつなみ)四丁目

下宝沢村の南東に位置し、瀧(りゆう)山の北麓、馬見(まみ)ヶ崎(さき)川上流沿岸の山間に立地。江戸時代初期に宝沢村が上宝沢村と下宝沢村に分村して成立した。領主の変遷は下宝沢村と同じ。寛永一六年(一六三九)の上宝沢村の定納一紙(佐藤文書)によると高六六二石余、村内の反別田六畝余・畑三三町四反余(うち屋敷三町一反余)、ほかに下宝沢・釈迦堂(しやかどう)・妙見寺(みようけんじ)・平清水(ひらしみず)・小白川(こじらかわ)・前田(まえだ)・江俣(えまた)・陣場(じんば)・鮨洗(すしあらい)・今塚(いまづか)・中野門伝(なかのもんでん)・中野・長町(ながまち)・落合(おちあい)・院役(いんやく)の一五ヵ村と、城下の宮(みや)町・十日(とおか)町・西田表(にしだおもて)などに出作地九町一反余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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