日本歴史地名大系 「上岡枝村」の解説 上岡枝村かみおかえだむら 山口県:豊浦郡菊川町上岡枝村[現在地名]菊川町大字上岡枝北に華(げ)山西(にし)ヶ嶽がそびえ、北西に六部(ろくぶ)山、東方木屋(こや)川向いに大了寺(おおりようじ)山を望む。南に小日本(こにつぽん)平野(菊川平野)が展開する。華山から発した歌野(うたの)川が南流し、木屋川に合する。東は西中山(にしなかやま)村、西は貴飯(きば)・楢崎(ならざき)の両村、南は吉賀(よしか)村、北は木工路子(むくろうじ)村(現豊田町)に接する。清末藩領。村名は文安六年(一四四九)の下保木(しもほき)の西光寺文書に「岡枝郷」とみえる。慶長年間(一五九六―一六一五)の検地帳も同様で、元禄一二年(一六九九)の郷帳で岡枝村となり、「地下上申」で初めて上岡枝・下岡枝の二村に分れる。なお「長門国志」に「田部の西に隣りて桜井郷あり、後に岡枝に改む。而して桜井は枝村となる。是桜井田部を二郷に分けて名に負せたるなり」とあり、古くは桜井(さくらい)郷とも称した。文安五年、大内義弘が山口にあった興隆(こうりゆう)寺に遣わした書状の中に「豊東郡桜井村の内拾石也」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by