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田部 たべ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田部
たべ

大化改新以前の皇室直轄領である屯倉耕作民。屯倉が置かれた地域の人々,諸地域から集められた人々,渡来人などであった。大化改新後,律令農民と同様に戸籍に加えられ,納税の義務を有し,公民となった。

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デジタル大辞泉の解説

た‐べ【田部】

上代、屯倉(みやけ)を耕作するために置かれた農民の集団。

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世界大百科事典 第2版の解説

たべ【田部】

日本古代の屯倉(みやけ)に付属する田地の耕作者。《日本書紀》安閑1年閏12月条によると,〈三島竹村屯倉〉は大河内直味張(おおしこうちのあたいあじはり)のさし出す钁丁(くわよほろ)によって耕作され,これが〈河内県の部曲〉を田部とすることのはじめである,としている。また欽明17年10月条によると,〈大身狭(おおむさ),小身狭屯倉〉をおいたとき,〈処々の韓人〉〈高麗人〉をもっておのおのの田部としたとある。

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大辞林 第三版の解説

たなべ【田部】

姓氏の一。

たべ【田部】

大化前代、天皇領の屯倉みやけで耕作に従事した部民。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田部
たべ

律令(りつりょう)国家成立以前の皇室領であった屯倉(みやけ)で働いた耕作民。部民(べのたみ)の一種であるため、部の字を伴う。569年(欽明天皇30)、欽明(きんめい)天皇の命を受けた白猪史胆津(しらいのふひといつ)が、吉備(きび)の白猪屯倉(岡山県津山市付近)に派遣された。胆津は、屯倉にかかわりのある田部の丁籍を定め、その屯倉の田令(たづかい)=管理者に任命された。この時期を画期として、屯倉の周辺にいて屯田(みた)の耕作にあたった農民を、大和(やまと)王権は直轄下に置くようになった。そして同じころ、全国各地に多様な部民が置かれ、大和王権の全国支配網が張り巡らされるようになった。[原島礼二]

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世界大百科事典内の田部の言及

【部民】より

…これらの部民は各地域の農民集団をさし,地方の国造(くにのみやつこ)にひきいられ,主家に力役や貢納の義務を負ったが,名代はさらに国造の一族から舎人(とねり),采女(うねめ)などを天皇・后妃の近侍者として差し出す慣習があった。また,朝廷の直轄領としての屯倉(みやけ)の耕作などに従う田部(たべ)も,各地の農民集団をさしている。これはある意味では,魏の豪族のもとに編成された部曲と共通する面もある。…

※「田部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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