上平井村・下平井村(読み)かみひらいむら・しもひらいむら

日本歴史地名大系 「上平井村・下平井村」の解説

上平井村・下平井村
かみひらいむら・しもひらいむら

[現在地名]菟田野町大字平井

芳野ほうの川支流、平井川流域に立地する谷間村落。臨済宗大徳寺派の飛来ひらい寺があり、明治二一年(一八八八)の村合併願書には「飛来村」と記す。東部の属邑、美登路みどろは建長二年(一二五〇)僧栄元田地流文(沢氏古文書)に「合参段者字見度呂庄之内 在大和国宇陀郡」とある。

近世初期は一村の平井村で慶長郷帳の村高四九〇・六一石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)以降幕府領。幕府領編入前後に村分けをし、上平井村(村高一九〇・六一石)、下平井村(村高三〇〇石)がそれぞれ独立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む