日本歴史地名大系 「上平井村・下平井村」の解説 上平井村・下平井村かみひらいむら・しもひらいむら 奈良県:宇陀郡菟田野町上平井村・下平井村[現在地名]菟田野町大字平井芳野(ほうの)川支流、平井川流域に立地する谷間村落。臨済宗大徳寺派の飛来(ひらい)寺があり、明治二一年(一八八八)の村合併願書には「飛来村」と記す。東部の属邑、美登路(みどろ)は建長二年(一二五〇)僧栄元田地流文(沢氏古文書)に「合参段者字見度呂庄之内 在大和国宇陀郡」とある。近世初期は一村の平井村で慶長郷帳の村高四九〇・六一石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)以降幕府領。幕府領編入前後に村分けをし、上平井村(村高一九〇・六一石)、下平井村(村高三〇〇石)がそれぞれ独立。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by