上広谷村(読み)かみひろやむら

日本歴史地名大系 「上広谷村」の解説

上広谷村
かみひろやむら

[現在地名]鶴ヶ島市上広谷・つるおか富士見ふじみ一丁目

藤金ふじがね村の東にあり、大谷おおや川が北寄りを北東へ流れる。ほぼ南北に川越から坂戸へ至る道が通る。小田原衆所領役帳に小田原衆御宿隼人佑の所領としてみえる入西につさいの「勝之内広野」二六貫五三六文を、当地を含む「広谷」にあてる説がある。同所では弘治元年(一五五五)検地が行われていた。江戸時代には高麗こま郡広谷郷に属した(風土記稿)。寛永二年(一六二五)九月横田甚右衛門(尹松)は徳川氏から入間いるま郡「広屋村」のうち二五石を宛行われた(記録御用所本古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む