埼玉県中央部にある市。1976年(昭和51)市制施行。入間(いるま)台地の北部にあり、西部に高麗(こま)川、北部と東部に越辺(おっぺ)川が流れる。東武鉄道東上線が通じ、坂戸で越生(おごせ)線を分岐、国道407号が通じ、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の坂戸インターチェンジ、関越自動車道の坂戸西スマートインターチェンジがある。古くから開発された地域で、縄文(花影遺跡)・弥生(やよい)・古墳(雷電塚古墳)時代の遺跡がある。また、古くからの交通の要地で、中世は鎌倉街道、江戸時代は日光裏街道の宿場町であった。首都圏から45キロメートル圏で、交通至便であるところから、近年住宅地や大学(女子栄養大学、城西(じょうさい)大学など)の進出が著しく、日本住宅公団(現、都市再生機構)や民間の団地もできて、人口の増加も著しい。足利尊氏(あしかがたかうじ)の崇敬厚かった三福寺(さんぷくじ)や、吉原の遊女万治(まんじ)高尾の墓がある永源寺がある。大宮住吉神社の神楽(かぐら)は県指定の無形民俗文化財。面積41.02平方キロメートル、人口10万0275(2020)。
[中山正民]
『『坂戸市史』全12巻(1983~1992・坂戸市)』
埼玉県中央部の市。1976年市制。人口10万1700(2010)。入間台地北縁部と越辺(おつぺ)川,高麗川低地にまたがる。開発の歴史は古く,北西部の入西(につさい)地区には条里遺構もある。古い市街地は江戸時代は日光裏街道の宿駅で,3・8の六斎市が開かれた。1916年東京・池袋からの東武東上線が開通し,32年に越生(おごせ)線が坂戸駅から分岐したが,なお農村相手の地方町であった。42年台地上に陸軍飛行場が設けられ,戦後,跡地に栄,千代田の開拓村ができた。高度経済成長期以降,都市化が進み,とくに60年代の女子栄養大学,城西大学,城西歯科大学(現,明海大学歯学部)の進出,70年代の住宅公団の北坂戸・若葉台両団地,民間業者の住宅団地および県営の工業団地の造成によって,人口は1960-80年に3倍以上に増加した。東上線に北坂戸駅(1973)と若葉駅(1979)が新設され,そのまわりには商店街が出現し,近郊学園・住宅都市として著しく発展した。郊外の農村地帯は,米の産地で,養鶏も盛ん。坂戸駅近くの永源寺は〈坂戸のお釈迦さま〉として知られる。
執筆者:新井 寿郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新