日本歴史地名大系 「広谷村」の解説
広谷村
ひろたにむら
当地は軽部庄の中心集落で、水陸の交通の要衝にもあたり、戦国時代後期には商人や諸職人が住む町場に発展していたものと思われる。前野長泰はその広谷町に対して諸職を以前のとおりに免許するとともに、諸公事(課役)を免除し、押買・押売を停止して町場として保護を加えた。次いで文禄四年(一五九五)八月八日付で、出石城主小出大和守吉政が同じく軽部庄広谷町に宛てて同文の掟(広谷村文書)を出している。
広谷村
ひろたにむら
- 広島県:府中市
- 広谷村
「備陽六郡志」に「むかし徳円寺の辺より常福寺の辺迄鵜飼村といひ、広谷寺の辺をは広谷村といひけるにや、福山引渡の帳にも広谷村とありて鵜飼村と云事なし、広谷村鵜飼村と二ケ村にてありし事ハ、元和以前の事とみへたり、鵜飼ハ当時ホノ
広谷村
ひろたにむら
広谷村
ひろたにむら
広谷村
ひろたにむら
広谷村
ひろたにむら
広谷村
ひろたにむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報