上成田村・下成田村(読み)かみなりたむら・しもなりたむら

日本歴史地名大系 「上成田村・下成田村」の解説

上成田村・下成田村
かみなりたむら・しもなりたむら

[現在地名]二本松市成田町(なりたまち)・金色(かないろ)・鐙摺石(あぶずりいし)・榎戸(えのきど)・市海道(いちかいどう)・板目沢(いためさわ)・大壇(おおだん)・冠木(かぶき)・金色久保(かないろくぼ)・木藤次郎内(きとうじろううち)・作田(さくた)・上竹(じようたけ)・高田(たかだ)・茶園(さえん)・成田日向(なりたひなた)・二伊滝(にいだき)・羽石(はねいし)・三保内(みほうち)・向原(むかいはら)・向作田(むかいさくた)

二本松城下の東、南および西を囲むような位置にあり、東は阿武隈川、南は高越(たかこし)村、西は永田(ながた)村。北の大部分は二本松城下、一部は油井(ゆい)村(現安達町)および塩沢(しおざわ)村に接する。貞和三年(一三四七)八月の岡本隆弘代和賀弥八着到状案(岡本元朝家蔵文書)に「去七月廿日安達郡成田大将御発向之間、御共仕」とあり、ここにいう大将とは畠山富田彦三郎のことと推定される。「伊達正統世次考」によると明応九年(一五〇〇)七月二三日、信夫(しのぶ)郡本内(もとうち)村(現福島市)を本領とする本内九郎に「成田郷内一宇」「田子在家一宇」、「屋津在家一宇」(屋戸か)、「殿内在家一宇」(永田村戸ノ内か)、「佐年加宇佐(在)家」が恩賞として与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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