二本松市(読み)ニホンマツシ

デジタル大辞泉 「二本松市」の意味・読み・例文・類語

にほんまつ‐し【二本松市】

二本松

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「二本松市」の解説

二本松市
にほんまつし

面積:一二九・七一平方キロ

中通り北部に位置し、北は福島市・安達郡安達町、東は同郡東和とうわ町・岩代いわしろ町、南は同郡白沢しらさわ村・大玉おおたま村、西は耶麻郡猪苗代町・郡山市。福島盆地郡山盆地を界する丘陵地帯にあり、市域の中央やや東寄りを阿武隈川が北流、同川から東側は阿武隈高地西縁の丘陵地帯を占め、西側は安達太良山の東斜面とそれに続く丘陵地である。市域の西端は安達太良山の山頂。二本松は室町時代から史料にみえるが、戦国期までは畠山氏をさす場合と畠山氏の居住地を示す場合などに使われている。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡はまだ発見されていないが、縄文時代の遺跡は安達太良山山麓を中心に数多く分布しており、とくに縄文時代中期末の複式炉を伴う住居跡は、県内では当地域を中心に発生・発達した。塩沢上原しおざわうわはら田地でんちおか原瀬上原はらせうわはらなどの遺跡はその典型である。古墳は阿武隈川および杉田すぎた川沿岸に一〇ヵ所ほどあるが、円墳や群集墳がほとんどである。杉田川南岸の丘陵地にある郡山台こおりやまだい遺跡は、発掘調査により寺院跡および正倉跡などが確認され、安達郡衙跡とされた。延喜六年(九〇六)一月九日、安積あさか郡から安達郡が分立しているので(「延喜式」民部上頭注など)、その時に置かれた郡衙であろうか。

〔中世〕

仁平元年(一一五一)に本領主惟宗定兼が太政官御厨家に寄進して成立し、建武四年(一三三七)までは続いた安達庄に当市域も含まれていたと推定される。南北朝期から戦国期にかけては、阿武隈川の西岸は奥州一方管領である畠山氏が、東岸は三春田村氏・結城白川氏・吉良氏・宇都宮氏・石橋氏・大内氏ら数多くの武士が支配したと思われる。畠山氏は「二本松畠山修理大夫ト号(「満済准后日記」永享四年正月七日条)とあるように、しばしば二本松もしくは二本松殿などとよばれた。


二本松市
にほんまつし

2005年12月1日:二本松市と安達郡岩代町東和町・安達町が合併
【岩代町】福島県:安達郡
【東和町】福島県:安達郡
【安達町】福島県:安達郡
【二本松市】福島県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二本松市」の意味・わかりやすい解説

二本松〔市〕
にほんまつ

福島県北東部,福島盆地の南部にある市。西部は安達太良山 (1709m) 山麓,東部は阿武隈高地上に位置し,中央部を阿武隈川が貫流する。 1958年二本松町と塩沢村,岳下村,大平村,杉田村,石井村の5村が合体して市制。 2005年安達町,岩代町,東和町の3町と合体。中心市街地の二本松は近世丹羽氏によって建てられた霞ヶ城の城下町として繁栄。 1873年東北地方で最初の製糸工場が建設された。家具製造,醸造などの伝統産業が発達。米作畜産,有機野菜の栽培も行なわれる。安達太良山山麓に岳温泉,ゴルフ場,スキー場がある。阿武隈川東岸の安達ヶ原は景勝地。毎年 10月に行なわれる二本松提灯祭や菊人形展は有名。二本松城 (霞ヶ城) 址にある旧二本松藩戒石銘碑は国指定史跡。石井の七福神田植踊は国指定重要無形民俗文化財。隠津島神社の木幡の幡祭りは国の重要無形民俗文化財に,木幡の大スギは国の天然記念物に指定。市域の一部は磐梯朝日国立公園霞ヶ城県立自然公園に属する。 JR東北本線,東北自動車道,国道4号線が市域を縦断するほか,国道 349号線,459号線が通る。面積 344.42km2。人口 5万3557(2020)。

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