上戸鎖村(読み)かみとくさりむら

日本歴史地名大系 「上戸鎖村」の解説

上戸鎖村
かみとくさりむら

[現在地名]久慈市山根町やまねちよう 上戸鎖

下戸鎖村の南、長内おさない川上流に位置。野田のだ街道が通る。近世を通じて盛岡藩領野田通に属する。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では蔵入金目高九石余、七ヵ年平均の免は一〇〇石につき五三匁で、「御物成諸役共」とある。元禄十郡郷帳では当村は深田ふかだ村へ入る。「邦内郷村志」では蔵入高六石余のみ。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数一五、うち本村九、枝村は赤馬立あかまたて六。安政五年(一八五八)翁沢おきなざわ鉄山が開業されており、年間三万五千貫の鉄を生産した(岩手県史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む