上星川村(読み)かみほしかわむら

日本歴史地名大系 「上星川村」の解説

上星川村
かみほしかわむら

[現在地名]保土ヶ谷区上星川町

都筑つづき郡の南端に位置し、東は橘樹たちばな和田わだ村・帷子かたびら町、南は同郡坂本さかもと村、川島かわしま村、西は白根しらね(現旭区)、北は橘樹郡羽沢はざわ(現神奈川区)上菅田かみすげた村に接する。東に釜壇かまだん山があり、川島村との村境を帷子川が流れ、上菅田村から村の中央を貫き上菅田川が流れて帷子川に合流する。橘樹郡下星川村とともに、「和名抄」所載の久良くらき星川ほしかわ郷の遺称地とされる。小田原衆所領役帳に六郷殿「卅四貫九百四拾文 小机筋星川夏成共」「卅二貫文 同向星川」とあり、星川・向星川と上下の星川村とのかかわりは不詳。

寛永一九年(一六四二)旗本山本領、元禄一〇年(一六九七)には旗本船橋領と幕府直轄領の二給。


上星川村
かみほしかわむら

[現在地名]酒田市大豊田おおとよだ

中星川村の東にあり、東は法連寺ほうれんじ(現飽海郡八幡町)日向につこう川の支流荒瀬川左岸に位置し、地内を新田目あらため堰が西流する。上星河村とも記された。「大泉庄三権現縁記」の永正三年(一五〇六)の項に砂越さごし(現飽海郡平田町)の城主武藤万歳丸殿御分地として「星川」とみえ、砂越氏の支配下にあったと考えられる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では、高二石余と七七石余に分けて記される。寛永元年庄内高辻帳の高一九二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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