徳島県中北部、麻植郡(おえぐん)にあった旧町名(川島町(ちょう))。現在は吉野川市(よしのがわし)の北部中央を占める一地区。1907年(明治40)町制施行。1955年(昭和30)学島(がくしま)村と合併。2004年(平成16)鴨島(かもじま)町、山川(やまかわ)町、美郷(みさと)村と合併、市制施行して吉野川市となる。旧町域は、吉野川中流南岸に位置し、同川に並行してJR徳島線と国道192号(伊予街道)が走る。古墳時代に忌部(いんべ)が居住した地で、戦国時代は川島氏の拠点で城山には川島城があり、蜂須賀(はちすか)氏入国後は阿波(あわ)九城の一つに数えられた。1638年(寛永15)廃城後は徳島藩郡代役所が置かれた。現在の川島城は1981年に復原されたもので、周辺は公園になっていて、万葉植物園もある。地方行政の中心地で、徳島地方裁判所川島支所(簡易裁判所)があった(現、吉野川簡易裁判所)。城山の下は吉野川南岸を潤す麻名用水(あさなようすい)の取水口で、水田化を促進してきた。東の桑村(くわむら)地区には吉野川旧水路の自然堤防列がある。
[高木秀樹]
埼玉県中央部、比企郡(ひきぐん)にある町。1972年(昭和47)町制施行。国道254号が走り、首都圏中央連絡自動車道の川島インターチェンジがある。東武東上線川越駅、若葉駅からバスが通じる。北を市野(いちの)川、東を荒川、南を入間(いるま)川、西を越辺(おっぺ)川に囲まれた沖積低地にあり、集落はこれら河川のつくった自然堤防上に位置する。古来、水害の多かった地であるが、近年は治水事業の完成により、まったくみられなくなった。県下有数の米作地帯で、水田裏作としてつくられるイチゴの栽培は、県内屈指の生産量を誇っている。国指定重要文化財の大御堂(おおみどう)がある広徳寺(こうとくじ)や、美術品や民俗資料を展示する遠山記念館がある。面積41.63平方キロメートル、人口1万9378(2020)。
[中山正民]
『鈴木誠一著『川島郷土史』(1956・川島村)』▽『『川島町史』全10巻(1999~ ・川島町)』
岐阜県南部、羽島郡(はしまぐん)にあった旧町名(川島町(ちょう))。現在は各務原市(かかみがはらし)の南西部を占める一地区。1956年(昭和31)町制施行。2004年(平成16)各務原市に編入。旧川島町域は、木曽(きそ)川の中州の島にあたり、約200種の野鳥が観察される豊かな自然が残る。対岸の一宮(いちのみや)毛織物工業都市(愛知県)と関係が深く、撚糸(ねんし)業などの繊維工業が行われる。工業製品出荷額は県下で屈指の地位を占めるが、誘致された製薬工業による割合がとくに大きい。近年は近隣の市や愛知県へ通勤する者が増え、尾張(おわり)方面との関係がいっそう目だつ。
[上島正徳]
『『ふる里川島』(1976・川島町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
埼玉県中央部,比企郡の町。人口2万2147(2010)。荒川と入間川,越辺(おつぺ)川に囲まれた低平地にある。近世初期の荒川の瀬替え以降,水害が激しくなり,たびたび堤防工事がなされたが,1846年(弘化3)に築かれた大囲堤が有名で,近年までその遺構があった。町南部の伊草は川越から松山に至る街道の要所で,中世末期には宿場が設けられ,六斎市が開かれていた。米作が盛んであったが,近年はイチゴを中心とした施設園芸や畜産が増えている。国道254号線沿いに県営工業団地がある。室町初期の建立といわれる広徳寺の大御堂は重要文化財に指定されている。圏央道のインターチェンジがある。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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