保土ヶ谷区(読み)ほどがやく

日本歴史地名大系 「保土ヶ谷区」の解説

保土ヶ谷区
ほどがやく

面積:二一・八〇平方キロ

市のほぼ中央に位置し、東は神奈川区・西区、西はあさひ区、南は南区・戸塚とつか区、北はみどり区・神奈川区に接する。多摩丘陵東端の洪積台地西北から南東に流れる帷子かたびら川によって刻まれ、さらに今井いまい町に源を発する今井川が東に流れ、区の東南端で合流し、標高一メートル余の低地を形成する。

原始時代の遺跡には、縄文後期・晩期仏向ぶつこう貝塚や帷子貝塚があり、南部には前方後円墳の瀬戸せと古墳がある。帷子川流域の星川ほしかわは「和名抄」所載の久良くらき郡星川郷の遺称地とされ、この流域は古くから開発されていたことが知られる。

中世には、現旭区二俣川ふたまたがわから保土ヶ谷区内にかけての地域は、建久三年(一一九二)の伊勢大神宮神領注文(神宮雑書)に保安三年(一一二二)伊勢神宮の内宮領となったとみえる榛谷はんがや御厨に含まれたとされる。元久二年(一二〇五)六月に畠山重忠とともに地域の土豪とみられる榛谷氏も滅ぼされ(吾妻鏡)、北条氏の所領に帰した。小田原衆所領役帳には岩間いわま・保土ヶ谷・今井・川島かわしま・仏向・星川・小帷の地名がみえ、岩間では天文一一年(一五四二)に検地が実施されたことが確認できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「保土ヶ谷区」の意味・わかりやすい解説

保土ヶ谷〔区〕
ほどがや

神奈川県東部,横浜市のほぼ中央にある区。多摩丘陵の縁辺部にあり,中央を帷子 (かたびら) 川が南東に流れる。 1927年区制。 69年区の西部 (現旭区) を分割して現区域となる。地名の由来はアイヌ語転訛説など諸説があり,定まらない。保土ヶ谷町帷子町岩間町は江戸時代東海道保土ヶ谷宿であった。化学,繊維,電機などの工業地区を形成していたが,JR保土ケ谷駅周辺や相模鉄道沿線の北西部の丘陵は急速に宅地化,さらに近年超高層ビルの横浜ビジネスパークなどが建てられ,ビジネス街としても発展している。中部にスポーツ施設の整った保土ヶ谷公園,西部に西谷浄水場がある。 JR横須賀線,相模鉄道,国道1号線が通るほか,横浜新道が北部で国道 466号線 (第三京浜道路) と,南部で国道 16号線 (保土ケ谷バイパス) ,横浜横須賀道路と接続する。面積 21.93km2。人口 20万7811(2020)。

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