上村智子(読み)カミムラ トモコ

20世紀日本人名事典 「上村智子」の解説

上村 智子
カミムラ トモコ

昭和期の水俣病裁判の原告 ユージン・スミス写真水俣母子」のモデル。



生年
昭和31(1956)年6月13日

没年
昭和52(1977)年12月5日

出生地
熊本県水俣市

経歴
熊本県水俣市月浦に胎児性の水俣病患者として生まれる。目が見えず、耳もわずかばかりの気配を感じることしかできず、喃語に似たうめき声を発するだけの少女であったが、14歳の時に両親とともに水俣病裁判の原告となる。また、母・良子の手を借りて入浴する彼女をモデルに、アメリカの写真家ユージン・スミスによって撮影されたルポ写真「水俣母子」は、水俣病の被害と悲劇を余すことなく表現し、全世界に衝撃と感動を与えた。母親の献身的な看病により、21歳6ケ月まで生き延びた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上村智子」の解説

上村智子 かみむら-ともこ

1956-1977 昭和時代後期,水俣(みなまた)病裁判の原告。
昭和31年6月13日熊本県水俣市月浦に生まれ,胎児性水俣病と診断される。体重14kgで,見ること聞くこと話すことができず,母親の献身的看病により,ねたきりのまま21歳6ヵ月の生命をたもった。アメリカ人写真家ユージン=スミスの写真「水俣母子」で世界に知られた。昭和52年12月5日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「上村智子」の解説

上村 智子 (かみむら ともこ)

生年月日:1956年6月13日
昭和時代の水俣病裁判の原告
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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