上松栄吾墓(読み)うえまつえいごのはか

日本歴史地名大系 「上松栄吾墓」の解説

上松栄吾墓
うえまつえいごのはか

医座寺境内にある。栄吾(一八〇〇―五四)大栗おおぐり村の貧農の出で、嘉永二年(一八四九)八月、四国巡礼の途中土佐国で、幹茎が長大堅固で籾種が大きい稲を発見して郷里へ持ち帰った。当時村で栽培した稲は茎が細いため天災に弱く、かつ米粒が小さく備蓄に適さなかった。庄屋河内又次郎の所有田で試作したところ、成果はきわめて良好で収穫量も多かったため、その品種は数年ならずして松山平野一帯に伝播し、彼の名をとって栄吾米といわれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む