日本歴史地名大系 「上江地村」の解説 上江地村かみえちむら 山形県:飽海郡遊佐町上江地村[現在地名]遊佐町江地(えち)北福升(きたふくます)村の北にあり、北は月光(がつこう)川を境に上楸島(かみぐみじま)村。天正六年(一五七八)一二月一五日の武藤義氏充行状写(別集奥羽文書纂所収文書)によれば義氏は「江地四十貫之所」を観音寺(かんのんじ)城(現八幡町)城主来次孫四郎に宛行っている。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録には上得知村・上江地村などとみえ高一五〇石余。寛永元年庄内高辻帳では高二七二石余。享和三年(一八〇三)には家数一五・人数五九(「村数家数人高控帳」斎藤文書)。庄内要覧によれば免四ツ九分七厘、家数二四。当村の採草地は西山入会拾(にしやまいりあいじつ)ヶ村(そん)谷地であった(「西山入会十ヶ村立会境改絵図」十里塚区有)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by