菩提寺(読み)ぼだいじ

精選版 日本国語大辞典 「菩提寺」の意味・読み・例文・類語

ぼだい‐じ【菩提寺】

[1] 〘名〙 一家が代々その寺の宗旨に帰依(きえ)して、そこに墓所を定め、葬式を営み、法事などを依頼する寺。一家が代々菩提を求める寺。菩提院。檀那(だんな)寺。氏寺。香華院
※九暦‐九暦抄・天暦元年(947)九月一九日「依大臣慶菩提寺拝賀事」
[2]
[一] 大阪市天王寺区生玉寺町にある浄土宗の寺。山号は東陽山。境内の観音堂は大阪三十三所の第一九番札所。
[二] 京都の東山の一峰、阿彌陀峰の南方にあった寺。
[三] 奈良県高市郡明日香村にある橘寺(たちばなでら)の正称。

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デジタル大辞泉 「菩提寺」の意味・読み・例文・類語

ぼだい‐じ【×提寺】

先祖代々の墓や位牌をおき、菩提を弔う寺。檀那寺だんなでら菩提所
[類語]檀那寺

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日本歴史地名大系 「菩提寺」の解説

菩提寺
ぼだいじ

[現在地名]御所市大字伏見

伏見ふしみ集落西方の山中にある。伏見山と号し、高野山真言宗。本尊十一面観音(平安後期)開山は行基と伝える。「続日本紀」宝亀四年(七七三)一一月二〇日条に「宜大和国菩提、登美、生馬、河内国石凝、和泉国高渚五院、各捨当郡田三町」とある菩提寺は当寺とされる(大和志)。貞和四年(一三四八)二月、吉野攻略の高師直軍がかぜもり峠で南軍と戦った時、高天たかま(現御所市)とともに炎上したと伝える。

菩提寺
ぼだいじ

[現在地名]奈義町高円

那岐なぎ山の中腹大別当だいべつとう城跡の北東にある。浄土宗。高貴山と号し、本尊観音菩薩、行基の開基と伝える。菩提寺古今録(美作高円史)によると開基から延暦二四年(八〇五)まで法相宗、承安四年(一一七四)まで天台宗、寛文五年(一六六五)まで浄土宗、明治六年(一八七三)までは真言宗であったという。開基の頃は三六坊があり繁栄していたと伝える。「法然上人行状絵図」や「元亨釈書」などによれば、久米くめ稲岡いなおか(現久米南町)に生れた法然は幼少の頃、当寺の院主で伯父の観覚の弟子となっていた。

菩提寺
ぼだいじ

[現在地名]垂井町岩手

菩提山南麓にある真言宗豊山派の寺院。一乗山観音院と号し、本尊は聖観音。天長元年(八二四)三月空海が当地を訪ねたとき、当地方の豪族伊福部氏の懇請によって開創したという。また淳和天皇の勅願寺と伝え、「日本紀略」天長五年一〇月三日条に美濃国菩提寺とみえ、定額寺に指定されている。その後の変遷はつまびらかではないが、中世、大般若経の書写が当寺や支院で行われており、応永一三年(一四〇六)二月一五日には岩手いわで郷内の菩提寺日光坊で同経第五二一巻を、同年四月二一日には同寺で第四一五巻を写し終わっている(「大般若波羅蜜多経奥書」蓮華寺文書)

菩提寺
ぼだいじ

[現在地名]瀬戸市上品野町

寂場山と号し、天台宗。本尊千手観音菩薩。仁王門があり、そこから一度下りて、再び石段を上ると標高二四〇メートルほどの丘陵上に本堂がある。「徇行記」をはじめとする諸書は、天平年中(七二九―七四九)行基の開創と記すが、弘治三年(一五五七)養海の代に下品野しもしなのの戸田定蔵が建立した「東照上人塔」と刻んだ石塔が境内にあり、それに東照は養和元年(一一八一)寂とある。

菩提寺
ぼだいじ

[現在地名]安城市桜井町 下谷

県道安城―桜井線の西に位置する。桜井山大超だいちよう院と号し、浄土宗鎮西派。本尊阿弥陀如来桜井さくらいでは真宗以外の唯一の仏寺。桜井城主松平信定が、大永元年(一五二一)父の菩提のため桜井寺を現在地に移転し、堪誉直道を開山として建立したもので、桜井松平家の香華寺として維持・経営された。

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改訂新版 世界大百科事典 「菩提寺」の意味・わかりやすい解説

菩提寺 (ぼだいじ)

祖先の墳墓を築き,累代の位牌を安置してその冥福を祈るために建立した寺。菩提所,香華(こうげ)院とも呼ばれ,古代・中世では氏寺(うじでら)というのが一般的である。古くは藤原氏の興福寺,和気氏の神護寺など,公家一門の氏寺が盛んに建立された。中世になると,例えば足利氏が鑁阿(ばんな)寺を建立して氏寺としたように,各地の武士団で氏寺を建立するものが多く,武士団の惣領制的結合の核として重要な機能を果たした。近世になると,菩提寺の名称が一般的となり,一族結合の紐帯的機能は薄らいだが,各藩主は城下に歴代の墳墓と位牌を備える菩提寺を建立した。尾張徳川氏の名古屋建中寺,長州毛利氏の萩東光寺など,ほとんどの城下に存在する。また後には,一般庶民が所属する檀那(だんな)寺を菩提寺と呼ぶようにもなった。
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百科事典マイペディア 「菩提寺」の意味・わかりやすい解説

菩提寺【ぼだいじ】

一家一族が代々同じ宗旨に帰依(きえ)し,その宗旨の特定の寺を埋葬墓所に定め,葬礼や年忌法要をいとなんで死者の追善を行う寺。発生・維持・機能など氏寺と共通する点も多く,同じ寺が菩提寺とも氏寺ともよばれる例もある。時代がくだるにつれ,台頭してきた武士や庶民も菩提寺をもつようになり,とくに江戸時代には,宗旨人別改制度と寺請制度,さらに寺内墓地の発達によって,すべての日本人が特定の菩提寺1ヵ寺をもつようになった。
→関連項目倉月荘

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菩提寺」の意味・わかりやすい解説

菩提寺
ぼだいじ

檀越(だんおつ)が帰依(きえ)して位牌(いはい)を安んじ、祖先の遺骨を葬り、その菩提を弔う寺院をいう。菩提所、菩提院、香華(こうげ)院、檀那(だんな)寺ともいい、古くは氏寺(うじでら)、墳寺(ふんじ)とも称した。現今では葬式を営み、法事などを依頼する所属の寺院をこのように呼称する。

[佐々木章格]

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葬儀辞典 「菩提寺」の解説

菩提寺

江戸時代中期に幕府の寺請制度により、家単位で1つの寺院の檀家となり、墓をつくることを強制されました。その寺院が家の菩提寺といわれるようになり、現在に至っています。菩提寺がわからない場合は、親族の年配者に伺います。宗派が分かれば、同じ宗派の寺院に依頼することもできます。

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旺文社日本史事典 三訂版 「菩提寺」の解説

菩提寺
ぼだいじ

先祖の位牌を安置して追善供養をし,自身の仏事をも修める寺
檀那寺ともいう。古くは一門の寺,氏寺を意味した。江戸時代には藩主が領内に菩提寺を設けて保護を加えた。

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デジタル大辞泉プラス 「菩提寺」の解説

菩提寺

岡山県勝田郡奈義町、那岐(なぎ)山中腹にある浄土宗の寺院。山号は高貴山、本尊は観音菩薩。行基の開基と伝わる。境内の大イチョウは推定樹齢900年で国の天然記念物

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世界大百科事典(旧版)内の菩提寺の言及

【塔頭】より

…独立した一寺ではないが,所領を保有して末寺をもち,同門の派徒のよりどころ,一派の拠点となって規模も拡大し,実質的には一寺としての発展をみる。また檀越(だんおつ)と師檀関係をもつ塔頭は,檀越の墓所を内設し,檀越家の菩提寺的機能を兼ねた。安土桃山時代以降はことに菩提寺的性格を強くし,京都紫野,大徳寺の塔頭は,戦国大名などの墓所を内設する例が大部分であり,また大名の創建にかかる塔頭も多い。…

【菩提】より

…一般の日本仏教の寺院は,インド仏教のように修行者が菩提を成ずる修行の場であるよりは,死者の菩提を弔う菩提所の機能を果たしてきたし,今もそのために存立している。これは日本仏教が在家仏教,聖の仏教に変質したとおなじ菩提の変質であるが,そのために菩提寺としての寺院が建立され,菩提を弔うための仏像,経典などの仏教文化ができた。【五来 重】。…

※「菩提寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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