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佐々木氏 ささきうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐々木氏
ささきうじ

宇多源氏を称する近江の豪族。治承4 (1180) 年秀義が源頼朝の挙兵に協力し,以後子孫が繁栄した。嫡流六角氏京極氏は室町時代に活躍,京極氏は幕府侍所所司となる家格をもった。京極氏は江戸時代大名となる。京極氏の一族尼子氏は出雲の戦国大名として有名。

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世界大百科事典 第2版の解説

ささきうじ【佐々木氏】

近江の古代・中世豪族。孝元天皇の皇子大彦命の子孫,狭々城山君を祖と伝える佐々貴山公氏(以下佐々貴氏と略称)は,沙沙貴神社を氏神とし,近江国蒲生郡を中心に栄え,奈良・平安時代には蒲生郡,神崎郡の大領などに就任した。一方,宇多天皇の皇子敦実親王の子の雅信は936年(承平6)源の姓を賜って臣籍に下り,その孫成頼は近江に土着して宇多源氏系佐々木氏の祖となり,孫の経方は蒲生郡佐々木荘小脇の館に住んだ。こうした佐々貴氏の北に接して宇多源氏系佐々木氏が土着し,両者の同化も進んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐々木氏
ささきうじ

宇多源氏(うだげんじ)の流れをくむ近江(おうみ)の豪族。近江国蒲生(がもう)郡佐々木荘(ささきのしょう)(滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市)を領して佐々木氏を称した。秀義(ひでよし)のとき、平治(へいじ)の乱(1159)で源義朝(みなもとのよしとも)に属し、平氏に追われて一時相模国(さがみの)渋谷荘(しぶやのしょう)(神奈川県藤沢・大和(やまと)・綾瀬(あやせ)市近辺)に逃れた。1180年(治承4)源頼朝(よりとも)の挙兵に応じて平氏追討に功をたて、その子定綱(さだつな)は近江の守護に任じられた。またその後、定綱が石見(いわみ)・隠岐(おき)・長門(ながと)、定綱の弟経高(つねたか)が淡路(あわじ)・阿波(あわ)・土佐(とさ)の守護に任じられるなど、佐々木一族は一時各国の守護を兼ねた。承久(じょうきゅう)の乱(1221)ののち信綱(のぶつな)が家督を継ぎ、その三男泰綱(やすつな)の系統が佐々木氏の嫡流となり、六角(ろっかく)氏を称して鎌倉時代から戦国時代に至るまで、ほぼ一貫して近江の守護を代々継承した。応仁(おうにん)の乱(1467~77)ののち高頼(たかより)が将軍足利義尚(あしかがよしひさ)・義材(よしき)(義稙(よしたね))の追討を受けたが、その子定頼(さだより)は将軍義晴(よしはる)に仕え、管領(かんれい)に準ぜられた。1568年(永禄11)織田信長に攻められて敗れ、まもなく滅亡した。佐々木一族は鎌倉時代に多くの庶流を分出したが、なかでも泰綱の弟氏信(うじのぶ)の系統は京極(きょうごく)氏を称し、近江国の北部を基盤に勢力を伸長し、南北朝内乱初期には高氏(たかうじ)(導誉(どうよ))が一時近江の守護となった。その後、室町幕府の侍所所司(さむらいどころしょし)ともなり、四職(ししき)の一として六角氏をもしのぐほどの勢力となったが、応仁の乱ののち、一族の内訌(ないこう)や家臣の叛乱(はんらん)、六角氏との抗争などのためしだいに衰退し、浅井(あさい)氏に勢力を奪われた。その後、高次(たかつぐ)のとき織田信長、豊臣(とよとみ)秀吉に仕えて京極氏を再興し、近世大名となった。[田代 脩]

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世界大百科事典内の佐々木氏の言及

【出雲国】より

…承久の乱後の新補地頭では,伊北氏(福田荘・猪布(いう)荘・飯野荘・大西荘),江戸氏(安田荘),諏訪部氏(三刀屋(みとや)郷),中沢氏(淀本(よどほん)荘),松田氏(安来(やすき)荘)等が確認されるにすぎないが,実際にはもっと多かったと思われる。 承久の乱後佐々木義清が出雲国守護に任じられ,南北朝の一時期山名氏に取って代わられたとはいえ,中世末期に至るまでの近江佐々木氏による出雲国支配の端緒がここに開かれた。守護佐々木氏による出雲国支配は,義清の子泰清とその子頼泰の代に飛躍的な発展を遂げた。…

【近江国】より

…源平内乱期にはこれら寺院勢力が近江源氏と結んで平氏討滅を誘引した。【栄原 永遠男】
【中世】

[武家政権]
 鎌倉幕府の成立によって,近江で勢力を振るうようになったのは佐々木氏である。佐々木氏は宇多源氏の出で,蒲生郡佐々木荘を本拠とし,平治の乱では源義朝に従って敗れ,相模に下ったが,源頼朝の挙兵に功があり,鎌倉初期に佐々木定綱が近江の守護に任命されて以来,戦国末まで400年近く,一族で近江守護を独占した。…

【隠岐国】より

…旧国名。現在の島根県隠岐郡,日本海上の火山島群である隠岐諸島。知夫里(ちふり)島,西ノ島,中ノ島などの島前(どうぜん)と北東方の一島の島後に大別される。
【古代】
 山陰道に属する下国(《延喜式》)。出雲国よりも早くヤマト国家の朝廷に属したと考えられ,意岐国造が任じられていた。ついで7世紀末には,島前に海評,島後に次(すき)評の(こおり)の制度が施行されていたことが,藤原京跡出土の木簡で確認される。律令制下の隠岐国は,《続日本紀》の702年(大宝2)の記事に初見するが,島前に知夫(ちふ∥ちふり)郡・海部郡,島後に周吉(すき)郡・穏地(おち)郡がおかれた。…

【京極氏】より

…鎌倉時代以来の武家。宇多源氏の近江佐々木氏の流れ。佐々木信綱の三男泰綱は京都六角東洞院に住して六角氏を称し近江国守護となり,四男氏信は京極高辻に住して京極氏を称した。…

【朽木氏】より

…宇多源氏の流れをくむ近江の豪族。佐々木氏の一族。佐々木信綱が承久の乱の功によって近江国高島郡朽木荘の地頭職を与えられたのち,その曾孫義綱がここを領して朽木氏を称するようになった。…

【備前国】より

…守護は一ノ谷の戦後に土肥実平が備前,備中,備後3ヵ国を兼帯したが,その後,藤戸合戦の勲功で児島に地頭職を得た近江の佐々木高綱が備前守護となった。のちに一時期,幕府吏僚の長井泰重(大江広元の孫,六波羅評定衆)に代わったが,鎌倉末期には守護は佐々木(加地)氏に復していた。 南北朝期には,東国出身の国人松田氏や,足利氏支族の細川氏が守護になったが,1365年(正平20∥貞治4)に松田氏に代わって播磨守護赤松則祐(そくゆう)が備前守護を兼ね,義則,満祐と子孫がその職を継いだので,国人土豪は赤松氏の被官化し,また浦上氏などの播磨の武士が流入して赤松氏の領国化した。…

【六角氏】より

…近江源氏佐々木氏の嫡流。鎌倉初期の惣領佐々木信綱の三男泰綱が祖。…

※「佐々木氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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