日本歴史地名大系 「上津畑庄」の解説 上津畑庄こうづはたのしよう 兵庫県:神戸市北区上津畑庄武庫(むこ)川支流長尾(ながお)川上流部を庄域とする。応安四年(一三七一)一〇月七日有馬(ありま)温泉から広峯(ひろみね)山(現姫路市)へ向かった京都祇園社前執行顕詮は、山口(やまぐち)庄(現西宮市)・畑(はた)庄・道場河原(どうじようがわら)・家原(えいばら)を通って「カウツハタ」に至り、ここまでを摂州分としており(祇園執行日記)、当地は摂津有馬郡西端に位置した。古代の有馬郡幡多(はた)郷は上・下二郷からなっていたが(和名抄)、当庄は上幡多(かみつはた)郷内に成立した庄園と考えられる。崇賢門院紀仲子(後光厳天皇皇后)が京都宝鏡(ほうきよう)寺(現京都市上京区)山内に創建したと伝える大慈(だいじ)院の所領。同院は足利氏の息女が入寺したこともあり、南御所とも称された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by