出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県神戸市東部,北区有馬町にある温泉。六甲山地の北斜面,標高370mの泉源を中心に発達した温泉郷で,神戸の都心から10kmの距離にある。三方を山にかこまれ,有馬川の清流が涼を呼ぶ山紫水明の地で,大阪,神戸の奥座敷として親しまれている。泉質は鉄分の多い強食塩泉(金泉)が主で,ほかに炭酸泉(銀泉),ラジウム泉の3地区,36の泉源がある。有馬温泉は永らく湯量不足に悩み,旅館に内湯がなかったが,1947年神戸市への編入後,市の努力で泉温90℃以上の高熱泉(金泉)の開発に成功した。有馬は東の草津,西の道後と並んで古い歴史をもつ温泉で,《日本書紀》舒明3年(631)9月の条に天皇入湯の記事がある。8世紀には僧行基が温泉寺を建立,12世紀末には吉野の僧仁西が湯治客のために12の宿坊を開いた。坊の名のつく旅館が多いのが特色であるが,その起りはこれに由来するという。16世紀末の大火や地震で一時衰微するが,豊臣秀吉が修築再興して繁栄の基礎を築き,文化・文政期(1804-30)には有馬千軒と称されるほどにぎわった。湯治の合間に茶会をたびたび催した秀吉をしのんで,毎年11月に大茶会が開かれる。今日では高層化した建物が多く昔日のおもかげは失われたが,ホテル,旅館のほか保養所,寮などが多い。神戸電鉄や六甲有馬ロープウェーなどのほか,神戸市内からの六甲または新神戸トンネルをぬける道,大阪からの中国自動車道もある。
執筆者:小森 星児
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兵庫県神戸市北区の一地区。六甲(ろっこう)山地の北側にあり、古くからの温泉地として知られる。『日本書紀』には舒明(じょめい)天皇来訪の記載がある。僧行基(ぎょうき)はここに温泉寺を開いたという。1191年(建久2)には僧仁西(にんさい)が温泉を復興し、12の僧坊を建立。今日でも温泉に「中の坊」「御所の坊」などの名が付されている。豊臣(とよとみ)秀吉はたびたび湯治に訪れており、荒れていた温泉復興に力を尽くした。江戸時代には有馬千軒とよばれ、繁栄した。
[藤岡ひろ子]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…日本列島の高温泉の分布は第四紀火山帯とよく一致する。なお,新第三紀の火山活動に関係ある紀伊半島の白浜,勝浦,兵庫県の有馬などのような温泉も多い。四国道後温泉の熱源となる火成岩体はさらに古く,白亜紀の花コウ岩であるといわれている。…
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