日本歴史地名大系 「上津黒村」の解説 上津黒村かみつぐろむら 鳥取県:八頭郡郡家町上津黒村[現在地名]郡家町上津黒下津黒村の南東、私都(きさいち)川の支流の谷間に位置する。元禄一四年(一七〇一)の変地其外相改目録(県立博物館蔵)に、正保郷帳には上津墨村と載せたとある。拝領高は一八二石余。本免六ツ三分。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高二二四石、竈数二〇。「因幡志」では家数三五、産土神はタテカウ大明神。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高二四四石余、竈数三四。伊吹氏の給地があった(給人所付帳)。藪役銀一匁余を課されていた(藩史)。文化一一年(一八一四)火事があり、類焼人が拝借米を願出、認められている。同一三年ははなはだしい凶作で、同一四年八東(はつとう)郡大庄屋の嘆願により私部(きさいち)谷の村々に御救米が下付されたが、その節当村は「山畑多、夫而已相抱居申ものも段々御座候て難渋居申、殊ニ四年已前村中焼失、其後衰微仕」と評されている(以上「在方諸事控」)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by