上生村
わぶむら
南弘生村の西、合志台地の北西に位置する。「国誌」は「旧壬生村ト云ル歟、壬生諸石館跡アリ」と記す。
戦国末期の寺社方家中侍中名附写(厳照寺文書)に「一田壱町三反 上生村聖寿寺」と村名がみえ、合志氏の土地寄進を伝えている。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると、名請人一九、屋敷持一八、田二四町七畝余、畠・屋敷三七町三反八畝余、分米五三七石一斗余。同一三年の検地帳、「肥集録」、天保期(一八三〇―四四)以降の村柄を示す明治三年(一八七〇)の竹迫手永手鑑などは、ともに小村積雪村・城村・堀田村を記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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