合志(読み)コウシ

デジタル大辞泉 「合志」の意味・読み・例文・類語

こうし〔カフシ〕【合志】

熊本県中北部にある市。熊本市に隣接しベッドタウン化が進む。北部地域穀倉地帯をなす。平成18年(2006)2月合志町西合志にしごうし町が合併して成立。人口5.5万(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「合志」の意味・わかりやすい解説

合志(市)
こうし

熊本県中北部にある市。2006年(平成18)菊池(きくち)郡合志町、西合志町(にしごうしまち)が合併、市制施行して成立。市域は、ほぼ全域が火山灰土壌で覆われた合志台地上に広がる。北部には北西流する塩浸(しおひたし)川(合志川支流)によって開析された低地がある。国道387号が縦走し、九州自動車道南部を横断。御代志(みよし)を起点に熊本市街とを結ぶ熊本電気鉄道が走る。

 北西部の丘上に縄文後期から晩期の二子山石器製作遺跡(ふたごやませっきせいさくいせき)(国指定史跡)がある。10世紀末、竹迫(たかば)付近に大宰府安楽(あんらく)寺領の合志荘が成立。ほかに比叡山延暦寺領の合志荘もあったとみられる。建久年中(1190~1199)中原師員(もろかず)が合志郡地頭職に任じられて竹迫に下り、のち竹迫氏を称して竹迫城に拠ったという。南北朝期、竹迫定種は肥後南朝方の菊池氏に属した。一方、延暦寺領の奉行として1337年(延元2・建武4)に佐々木長綱が下向、合志氏を称し、北朝方に属して菊池氏などに対抗、竹迫城、鳥栖原(とりのすばる)などは合戦場となった。代々竹迫城に拠った竹迫氏は16世紀前半に豊後に移住。代わって合志隆岑(たかみね)が竹迫城に入り、合志全郡を領したが、1585年(天正13)薩摩の島津氏に攻め落とされた。竹迫城は、1587年の豊臣秀吉の九州平定の際、薩摩へ撤退する島津氏によって焼却された。1588年に肥後国北半を領した加藤清正は、水の便の悪い肥後台地の開墾を意図して、現市域の南端部を流れる堀川を開削したとされる。江戸時代、竹迫は熊本城下より北方約五里に位置し、隈府(わいふ)町(現、菊池市)に至る南北の往還と、東西の往還が交わる交通の要所となり、月に10日ずつの市が開かれ、町場化した。竹迫町の西方、鹿水(しかみず)村(現在の栄(さかえ)地区)も竹迫町に次ぐ交通の要所として賑わった。第二次世界大戦前までは桑園が広く分布し、麦、陸稲、豆、サツマイモなどが自給作物として栽培されていた。近年は熊本市に隣接した南西部一帯で市街地化が進み、ベッドタウン化が著しい。北部は県内有数の穀倉地帯で、米作のほか葉タバコ、花卉栽培、蔬菜園芸、畜産などが盛ん。とくにスイカは特産として知られる。面積53.19平方キロメートル、人口は6万1772(2020)。

[編集部]



合志
こうし

熊本県北部、菊池(きくち)郡にあった旧町名(合志町(まち))。現在は合志市の東部を占める。旧合志町は1966年(昭和41)町制施行。町名はかつての郡名(合志郡)によった。2006年(平成18)西合志町と合併、市制施行して合志市となった。旧町域は北西端から中心に向けて直線的に延びる合志川の支流「おこぎ川」によって開析された低地を除けば、全域、火山灰土壌で覆われた段丘礫(れき)層からなる台地である。耕地の中心は畑地で、第二次世界大戦前までは西日本一の養蚕業地を支えた桑園が広く分布し、麦、陸稲、豆、サツマイモなどが自給作物として栽培されていた。1960年代前半からは、開田が進むとともに、乳牛・鶏の飼養、タバコ・野菜の栽培などが盛んになり、農業経営が多角化している。さらに、純農村景観に大きな変化を与えたのは、オートバイ部品をおもにつくる合志技研工業(1976年操業)、日本たばこ産業原料工場(1979年操業)などに代表される工場進出である。「竹迫観音祭(たかばかんのんまつり)」(毎年7月10日の夜)は地区の人々、親類縁者の親睦(しんぼく)を意図した「祭りの原型」を残すものとして知られている。また、幾久富(きくどみ)の御手洗遺跡(みたらいいせき)は、火山灰台地上の遺跡として、九州の縄文文化を考えるうえで見落とせない。

[山口守人]

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改訂新版 世界大百科事典 「合志」の意味・わかりやすい解説

合志[市] (こうし)

熊本県北部の市。2006年2月合志町と西合志(にしごうし)町が合体して成立した。人口5万5002(2010)。

合志市東部の旧町。旧菊池郡所属。1966年町制。人口2万2571(2005)。熊本市の北に位置し,全域が標高60~140mの台地からなる。中心の竹迫(たかば)は江戸時代,熊本と菊池を結ぶ住吉街道の宿場町として栄えた。近年,熊本市のベッドタウンとしての発展がめざましく,南部には大規模住宅団地が造成され,人口増加が著しい。農業を主産業とし,米,タバコ,野菜の栽培,酪農などが盛んであったが,宅地化による耕地の減少,さらにオートバイ関連工場を誘致した工業団地の完成によって兼業化が進み,工業の比重が高まっている。県農業公園〈カントリーパーク〉や日本たばこ(株)熊本原料工場などがある。

合志市西部の旧町。旧菊池郡所属。人口2万9076(2005)。熊本市の北に位置し,菊池川の支流上生(わぶ)川の流域と周辺の台地を占める。中心集落の野々島の一帯は古く鳥栖原(とすばる)といい,南北朝時代肥後菊池氏の一拠点であった。米作のほかタバコ,野菜栽培,畜産を営み,スイカを特産する。九州農業試験場(現,九州沖縄農業研究センター),九州特産種苗センター,九州林木育種場(ともに現,林木育種センター九州育種場)の所在地。合生(あいおい)の黒松古墳群,二子山石器製作遺跡(史),熊本市街の展望地弁天山(146m)がある。熊本電鉄線が御代志(みよし)まで通じ,国道387号線が通る。三菱電機熊本製作所や熊本電波工業高等専門学校がある。近年は熊本市のベッドタウンとしても発展している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「合志」の意味・わかりやすい解説

合志
こうし

熊本県北部,合志市東部の旧町域。阿蘇山の西麓,合志台地に位置する。 1966年町制。 2006年西合志町と合体して合志市となる。畑作に陸稲,サツマイモ,スイカ,牧草,飼料作物を栽培,酪農と養鶏が行なわれる。タバコの原料工場,オートバイ部品工場などがある。熊本市に近い南部はベッドタウンとして都市化が進み,工業団地や住宅団地が造成されている。中心地区の竹迫 (たかば) に中世の竹迫城跡がある。

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百科事典マイペディア 「合志」の意味・わかりやすい解説

合志[町]【こうし】

熊本県北部,菊池郡の旧町。合志川と白川にはさまれた台地の一部を占める。米作を行うほかスイカ,メロンも産し,特に葉タバコ栽培と酪農が盛ん。デンプン,セメントの工場もある。2006年2月,菊池郡西合志町と合併し市制,合志市となる。28.89km2。2万2411人(2003)。

合志[市]【こうし】

熊本県北部に位置する市。南部を熊本市に接する。2006年2月,菊池郡合志町,西合志町が合併し市制。熊本電鉄,九州自動車道,国道387号線が通じる。53.19km2。5万5002人(2010)。

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普及版 字通 「合志」の読み・字形・画数・意味

【合志】ごうし

同志。

字通「合」の項目を見る

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