上砥川村(読み)かみとがわむら

日本歴史地名大系 「上砥川村」の解説

上砥川村
かみとがわむら

[現在地名]牛津町大字上砥川

西北方に三宝さんぽう山、大平おおひら山を配し、東方に多久たく川が流れ、南は平野部に連なる。古代から開けた地と考えられ、長勝ちようしよう寺・常福じようふく寺などの古寺がある。現大字上砥川の字地として、砥川町・新屋敷しんやしき両新村りようしんむら(田中新村・新村)いずみ宿古賀しゆくこが(新宿・古賀村)たに内砥川うちとがわなどがある。

建武四年(一三三七)の田中行祐申状(実相院文書)によれば、「小城郡砥河内得久名田地壱町五段余、屋敷畠地」は、行祐重代相伝知行とある。康永二年(一三四三)の千葉胤朝畠地宛行状(同文書)に、「小城郡砥河保内東方楽仏苑畠地」を田中彦七入道に半分は御恩として、半分は御手所として宛行うとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報