日本歴史地名大系 「上福万遺跡」の解説 上福万遺跡かみふくまんいせき 鳥取県:米子市福万村上福万遺跡[現在地名]米子市福万 北林・広畑・八久保田南大山西麓の佐陀(さだ)川左岸の標高七〇メートルの扇状地上に営まれた縄文時代早期を中心とする集落跡で、古墳時代・奈良時代にも重複している。昭和五九年(一九八四)に中国横断自動車道岡山―米子線の建設工事に伴って発掘調査された。縄文時代早期の遺構では住居跡は検出されなかったが、土壙六四基・集石遺構三五基が検出されたほか、三万点に及ぶ土器・石器類が出土し注目された。土器は尖底の鉢形土器で、楕円押形文や山形文の文様があり、高山寺式とよばれる形式の土器を中心とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by