上羽生村(読み)かみはにゆうむら

日本歴史地名大系 「上羽生村」の解説

上羽生村
かみはにゆうむら

[現在地名]羽生市中央ちゆうおう一―五丁目・西にし一―五丁目・みなみ一―八丁目・上羽生

町場まちば村の南にあり、東は下羽生村。利根川あいの川に挟まれた、埋没台地・自然堤防などを含む比較的低平な地に位置する。当村を含む一帯は中世羽生とよばれた。文明一二年(一四八〇)の一一月二八日付太田道灌書状写(松平文庫所蔵文書)に「羽生峯」「羽生陣」とみえ、同一〇年三月二〇日「羽生峯」に布陣していた長尾景春らを、扇谷上杉定正と道灌の弟資忠が攻撃して退散させた。名古屋市真福しんぷく寺文庫の如意経奥書によると、享禄四年(一五三一)二月一三日、「武州大田之庄埴生之郷」の僧深観房が同経を書写している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む