上赤工村(読み)かみあかだくみむら

日本歴史地名大系 「上赤工村」の解説

上赤工村
かみあかだくみむら

[現在地名]飯能市上赤工

原市場はらいちば村に南・西・北を囲まれ、同村との境を入間いるま川が曲流する。東は下赤工村。江戸時代初期は上・下に分立していず、田園簿には赤内匠あかだくみ村とみえる。高は田方四八石余・畑方一九一石余、幕府領元禄郷帳に上赤工村がみえ、高一〇八石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領、ほかに本演ほんえん寺地蔵堂領がある。延享三年―天保三年(一七四六―一八三二)間は三卿の一の田安領(「田安領知村高記」葛生家文書など)。「風土記稿」によると家数三二。当村でも農間稼として紙漉を行っていたようで、宝暦二年(一七五二)田安家に紙漉の元手金の拝借を願出ている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む