日本歴史地名大系 「上足洗村」の解説 上足洗村かみあしあらいむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区上足洗村[現在地名]静岡市上足洗一―四丁目・上足洗・北安東(きたあんどう)一丁目・同五丁目・城東町(じようとうちよう)・緑町(みどりちよう)・西千代田町(にしちよだちよう)・巴町(ともえちよう)有渡(うど)郡に所属(元禄郷帳など)。下足洗村の南西に位置する。鎌倉期には足洗庄に含まれ、南北朝期までには上足洗郷となっている。貞治二年(一三六三)六月六日に前駿河守護今川範国(心省)が同国宝樹(ほうじゆ)院に孫の泰範(長慶寺殿)が寄進した木作跡(番匠・木地師の跡地であろう)の「上足洗之内壱石」と「上足洗本田一町」などを安堵している(「今川範国書下写」諸家文書纂)。ただし本田一町のうち五段が不作で、現作は五段、斗代は一石五斗であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報