朝日日本歴史人物事典 「泰範」の解説
泰範
生年:宝亀9(778)
平安前期の真言宗の僧。空海十大弟子あるいは四哲のひとりで,空海,最澄との関係が有名。近江(滋賀県)出身か。法相宗の牙城元興寺で出家したが,法華思想を奉ずる最澄に師事し,大同5(810)年には延暦寺の寺規策定にあずかるほど信頼を得た。弘仁3(812)年高雄山寺(神護寺)で最澄らと共に空海から密教灌頂を受け,以後,泰範は空海に従い比叡山には戻らなかった。弘仁7年の高野山開創時の活躍以外,目立った活動は伝わらず,承和4(837)年4月,実慧が東寺定額僧を上申した折,60歳で首位の旨を最後に消息を絶つ。空海と最澄の交流と背離にかかわっていたため,泰範の行動は古来より注目を集め,その原因をめぐり様々な憶測を生んできた。しかし泰範は空海と出会う前すでに最澄と距離を置いていた形跡があり,袂を分かつ真因は宗教観の相違にあったらしい。<参考文献>守山聖真編『文化史上より見たる弘法大師伝』,仲尾俊博「最澄と泰範」(『密教学』22号)
(正木晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報