上部村(読み)しようぶむら

日本歴史地名大系 「上部村」の解説

上部村
しようぶむら

[現在地名]米子市蚊屋かや

蚊屋村の南にある。同村の枝郷で、明治三年(一八七〇)領内限りで分村したとされる(藩史)。しかし「在方諸事控」では享和三年(一八〇三)にはすでに上部村とみえ、「伯耆志」でも一村として掲げられている。幕末の六郡郷村生高竈付では生高三六二石余、竈数一六。本免四ツ六分。「伯耆志」の家数一六・人数六四。土産として木綿・鰌を記し、湿田が広く鰌生育に適していたことを物語る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む