上部村(読み)しようぶむら

日本歴史地名大系 「上部村」の解説

上部村
しようぶむら

[現在地名]米子市蚊屋かや

蚊屋村の南にある。同村の枝郷で、明治三年(一八七〇)領内限りで分村したとされる(藩史)。しかし「在方諸事控」では享和三年(一八〇三)にはすでに上部村とみえ、「伯耆志」でも一村として掲げられている。幕末の六郡郷村生高竈付では生高三六二石余、竈数一六。本免四ツ六分。「伯耆志」の家数一六・人数六四。土産として木綿・鰌を記し、湿田が広く鰌生育に適していたことを物語る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む