上野部村(読み)かみのべむら

日本歴史地名大系 「上野部村」の解説

上野部村
かみのべむら

[現在地名]豊岡村上野部

天竜川が山岳地帯を離れて遠州平野に流れ出ようとする扇頂部の左岸に位置し、西は同川を隔てて上島かみじま(現浜北市)。中世野部のべ郷の遺称地。江戸時代はじめは幕府領、宝永年間(一七〇四―一一)から幕府と旗本気賀近藤氏の相給、宝暦一三年(一七六三)幕府と掛川藩の相給となって明治維新を迎えた(「年貢割付状」深田家文書など)

検地は慶長一六年(一六一一)に行われ高二八二石余(享保一一年「差出明細帳」深田家文書)正保郷帳によると田方二一八石、畑方六一石余、寺社領合計一六石。元禄郷帳では高三五九石余、天保郷帳では高三八四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む